社員ブログ
会社の注目トピックス 社員の社内外における日常の声をお届けします。
この植木鉢第3弾この植木鉢第3弾
2009-07-22
カテゴリ:Abies firme
雛が孵ってから親鳥たちは、忙しなく餌を運んでいます。
よく見てみると、真ん中の3羽がひときわ大きく見えるのは、気のせいですかね?
兄弟?姉妹?仲良く大きく育って欲しいなと思います。
巣立ちの日も、そう遠くはないでしょう。
よく見てみると、真ん中の3羽がひときわ大きく見えるのは、気のせいですかね?
兄弟?姉妹?仲良く大きく育って欲しいなと思います。
巣立ちの日も、そう遠くはないでしょう。
続・この植木鉢
2009-07-09
カテゴリ:Abies firme
燕の雛が孵りました。なんと5羽!
燕夫妻から餌を貰い、スクスクと成長中ですv
外敵(カラス・蛇)からは、守られているので安心ですが、時折、他の燕が成長具合を見学にくるのか、邪魔しにくるのかわかりませんがやってきます。そのため、燕夫妻の威嚇攻撃があります。
燕夫妻から餌を貰い、スクスクと成長中ですv
外敵(カラス・蛇)からは、守られているので安心ですが、時折、他の燕が成長具合を見学にくるのか、邪魔しにくるのかわかりませんがやってきます。そのため、燕夫妻の威嚇攻撃があります。
少しでも長くいて欲しいと思いつつ、5羽の成長を見守っています。
この植木鉢、実は・・・
2009-06-29
カテゴリ:Abies firme
玄関の窓枠に巣を作ろうとした燕夫妻v
さすがに、人間の立場としては、来客時に大変迷惑!
そこで、壁にプラスチック製の植木鉢を貼り付け、燕夫妻が運んできた、土を入れてみました。
この燕夫妻、植木鉢が気に入ったようで、土をせっせと運び、立派な住居に仕立て上げました。
今は、奥様が卵を温め中。お腹がすくと鳴いて、旦那様からえさをもらっています。
雛が孵るの日を、まだかな~と眺めている今日この頃です。
自然と共存するのは、とても大変です。
苦心して作った巣を、壊してしまう人達もたくさんいると言われています。
燕などの鳥たちが、巣を作れる環境であることが、身近な自然環境保護ではないかと思います。
さすがに、人間の立場としては、来客時に大変迷惑!
そこで、壁にプラスチック製の植木鉢を貼り付け、燕夫妻が運んできた、土を入れてみました。
この燕夫妻、植木鉢が気に入ったようで、土をせっせと運び、立派な住居に仕立て上げました。
今は、奥様が卵を温め中。お腹がすくと鳴いて、旦那様からえさをもらっています。
雛が孵るの日を、まだかな~と眺めている今日この頃です。
自然と共存するのは、とても大変です。
苦心して作った巣を、壊してしまう人達もたくさんいると言われています。
燕などの鳥たちが、巣を作れる環境であることが、身近な自然環境保護ではないかと思います。
上杉景虎ゆかりの”脇差し”に感動です
2009-06-03
カテゴリ:ハルトジィ
今日の午前中、妙高市内の某所で偶然にも、今話題の影虎ゆかりの”脇差し”を目の前で・・・。思わず戦国時代のロマンを感じ感動しました。所有者のかたが言われるには、この脇差しを持った人は、志半ばで無念の死を遂げた景虎の意志が乗り移るのか、不思議に出世する方が多いとのことです。この不況下ですから、ほんとうなら嬉しいですね・・・県内で景虎ゆかりの刀剣類が発見されるのは珍しいそうです。
現在は妙高市の文化財に指定されています。
現在は妙高市の文化財に指定されています。
(以下、妙高市ホームページより抜粋)
肖像画もなく、ゆかりの品が少ないことで知られる上杉景虎ですが、このほど、妙高市内の旧家から景虎の側近が所持していたと伝えられる脇差が発見されました。
脇差は今から3年ほど前に行われた家の解体工事で見つかったものです。
脇差の製作者は相模の刀工「広正」。室町時代に活躍し、龍の彫刻が得意であったとされています。今回の脇差にも「広正」の銘とともに、小柄(小刀)に「倶利伽羅龍」の見事な彫刻があります。景虎の出身地である相模の刀工の作であり、推定制作年代も室町時代中期~後期ということで景虎が生きた時代と重なります。
この刀は、旧家に代々伝わる「先祖は小田原から主に従って当地に赴任し、鮫ヶ尾城を舞台とした戦争で負けて刀とともに逃げのびた」とする口伝と一致する内容であり、景虎の側近が所持していた可能性が十分にあります。
肖像画もなく、ゆかりの品が少ないことで知られる上杉景虎ですが、このほど、妙高市内の旧家から景虎の側近が所持していたと伝えられる脇差が発見されました。
脇差は今から3年ほど前に行われた家の解体工事で見つかったものです。
脇差の製作者は相模の刀工「広正」。室町時代に活躍し、龍の彫刻が得意であったとされています。今回の脇差にも「広正」の銘とともに、小柄(小刀)に「倶利伽羅龍」の見事な彫刻があります。景虎の出身地である相模の刀工の作であり、推定制作年代も室町時代中期~後期ということで景虎が生きた時代と重なります。
この刀は、旧家に代々伝わる「先祖は小田原から主に従って当地に赴任し、鮫ヶ尾城を舞台とした戦争で負けて刀とともに逃げのびた」とする口伝と一致する内容であり、景虎の側近が所持していた可能性が十分にあります。
関連URL:新潟日報天地人特集ニュース